生きてるよ生きてるよ
2010.04.21 (Wed) | Category : 過去ログ
好きなように書くって、そのことばに忠実かつ誠実であろうとするほど難しくて、でも叶えられたあかつきに得るものはきっとなにものにも代えがたいんだと思うのです。なのでがんばってうんうんうなっています(´・ω・`) すっきりしない文章で申し訳ない。
たどりつきたい場所は見えているので、そこに行くまでの道を見つけるだけなのです! だけど、これがむずかしなのなのねー・゚・(ノД`)・゚・
お返事かえせなくてすみません。何度も読み返して、気力を頂いています。
ちょっとひとりごと。ニコ動で見かけて、気に入った言葉。
転んだ人を笑ってはいけない。
彼は歩こうとしたのだ。
これと直接の関係はないんですけども、わたしの伯母は五十代の若さでアルツハイマーにかかりました。兆候はしっかりとあって、病気が発覚する以前伯母と会ったとき、彼女はわたしをみて「どちらさまでしたか」と言いました。今思えば異常を察知するに十分な出来事だったと思うんですが、そのときは、頑固な日常のフィルタで見過ごしました。
伯母は夫とも3人の息子とも不仲でした。数年に一度しか会わないわたしにもわかるくらい、溝のある、家族の誰もが孤立感を感じているような家族でした。伯母について、3人の息子は「あのひととは話ができないから」と口をそろえます。兄弟仲も最悪なのに。
でも、わたしもわかる気がします。伯母はとても無神経で、ひとの歩み寄りを無駄にするのが得意でした。
だからどうだとか誰が悪いだとか、仲が悪かったから病気になったんじゃとか、そんな因果を語りたいわけではないのです(;・ω・)
ただ、まわりから理解されなかった伯母が、まわりに理解されなくて平気な人間だったという話にはならないので、もしかしたら理解されなかっただけで彼女にも歩こうとしてもがいて失敗したことが何度もあったのかもしれなくて、でもそれに気づけたひとがひとりもいなかったんじゃないかと、そう思うと悲しいですねっていう。
伯母のことを思うとき、わたしはわたしの大切なひとをそんな目にあわせたくはないと強く思います(同情とかそういうものを持つほど、近く感じていないので)。自分の大切なひとの、歩こうとしている事実を、たとえ一見わかりづらくても気づけるように、冷静でありたいと思います。大切なひとほど気持ちを振り回されてしまうから、難しいけど、でもわたしにとって、誰かを大切にするっていうのはそういうことです。
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